後藤悟志さんは空調や衛生設備、不動産などを手がける太平エンジニアリングの代表取締役社長です。
1987年に先代である父の体調不良をきっかけに、祖父が創業した太平エンジニアリングに入社しました。
1996年には父の跡を継いで代表取締役社長に就任し、以降関連会社を海外に複数展開するなど、持ち前の経営手腕を発揮したグローバルな視点で会社規模を拡大し続けています。
また、営業力も優れており、以前勤めていたニッカウヰスキーでは営業1位の成績を獲得するなど、優秀な成績を収めています。
後藤悟志さんのプロフィールは以下の通りです。
名前 | 後藤悟志 |
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生年月日 | 1957年11月12日 |
出身地 | 東京都 |
居住地 | 東京都杉並区 |
最終学歴 | 青山学院大学経営学部 卒業 |
血液型 | O型 |
座右の銘 | 感謝 |
後藤悟志さんは、後藤家の次男として誕生しました。
祖父は太平エンジニアリングの前身にあたる三榮建設工業株式会社の創業者、父は先代の代表取締役社長という環境だったため、幼少期から帝王学について叩き込まれて育ちました。
子どもの頃はガキ大将としてまわりの人をまとめて遊んでいたと後藤悟志さんが語っており、その頃から会社を統率するリーダーとしての素質が芽生えていたようです。
幼い頃から祖父と父が会社の代表を務める姿を見ていた後藤悟志さんは、自分もいつかは会社を継承するのだと自然と考えるようになっていったそうです。
後藤悟志さんは1980年に青山学院大学経営学部を卒業後、ニッカウヰスキー株式会社に営業職として就職し、営業成績1位を獲得するなど優れた営業手腕を発揮しています。
1987年には先代社長である父・後藤一之さんの体調不良をきっかけに、7年勤めたニッカウヰスキー株式会社を退職し、太平エンジニアリング株式会社の営業本部に入社しました。
その後、1996年には父から引き継ぐ形で代表取締役社長に就任しました。以降、現在に至るまで社長として会社を成長させ続けています。
後藤悟志さんは、そのやばい経営手腕と実績も高く評価されています。
1996年に代表取締役社長に就任後、太平エンジニアリングをはじめとした太平グループ全体の売上高は700億円となるなど企業としての成長が著しく、さまざまな施策により会社の規模は現在も拡大し続けています。これらの実績は、後藤悟志さんがニッカウヰスキー勤務時代に培った営業力を活かした経営によるものです。
では具体的に、後藤悟志さんはどのような施策を行ってきたのでしょうか。以下で解説します。
一つは、東南アジアを中心としたグローバル展開を行ったことです。
これまでに日本国内で培った快適な住・食の環境創りのノウハウを活かし、2005年から東南アジア方面への海外進出を実施しました。
現在はミャンマー・カンボジア・シンガポール・ベトナムの4ヵ国にグループ会社が設立されています。
海外への進出は、後藤悟志さんの卓越した経営手腕によるところが大きいでしょう。
今後も人材の交流も含め、大きな事業の柱として海外事業を構築していくことを目指しています。
もう一つは、後藤悟志さんの優れた営業力を活かしたM&A戦略による事業の拡大です。
太平エンジニアリングは元々空調などの建設設備を扱う会社でしたが、そこからさらに事業の幅を広げるために、建設業とかかわりの深い異業種に参入するM&A戦略を実施しました。
これまでに株式会社山吹ビルサービス、株式会社ヒル・フィールド、徳壽工業株式会社など複数の会社を買収しており、会社規模を大きく拡大することに成功しました。
これにより太平エンジニアリングは建設設備のほかに、外食・ゴルフ・リゾート事業や商品販売業などを展開する多くのグループ会社を抱える巨大企業となっています。
幅広い事業展開の結果、売上が大幅に増加していることからも、後藤悟志さんの経営手腕の高さがうかがえるでしょう。
華々しい経歴と優れた経営手腕をもつ後藤悟志さんは、趣味の面でもかなりの腕前をもっているようです。
ギターやボーカルなど音楽を趣味としており、学生時代から音楽活動を続けていることから腕前はセミプロレベルとも言われています。
またゴルフも好んでおり、会社の事業としても「馬頭ゴルフ倶楽部」の経営を行うなどゴルフ好きな一面が見られています。